【広島・長崎 被爆80年に寄せて】

訪問看護師として出会った“あの日の記憶”


2025年、原爆投下から80年。
今あらためて、私たち訪問看護師が日々のケアを通して感じた「被爆体験者の声なき声」に、少しだけ耳を傾けていただけたらと思い、この場を借りてひとつの出会いをご紹介します。

※個人が特定されないよう一部表現を調整しています。


◆ 訪問先で出会った、一人の女性

その方は、物忘れが進み、私たちが訪問看護に入らせていただくことになった高齢の女性でした。
最初の訪問のときから、彼女はいつも手鏡を持っておられたのが印象的でした。

お薬の管理や皮膚のチェック、食事・排せつの確認など、週に2回の訪問を続けていくなかでも、
会話の途中で何度もご自分の顔を鏡で見つめるその姿が、ずっと心に残っていました。


◆ ある日、ふと…その理由を尋ねてみると

ある日、スタッフのひとりが思いきってその理由を尋ねました。
すると、彼女は真剣な表情で、こう答えたのです。

「…私の顔、ただれてない?大丈夫?」

一瞬、言葉を失いました。
曜日も時間もあやふやになり、訪問する看護師の名前も覚えづらくなっていたその方が、
あの「記憶」だけは、鮮明に心に残っていたのです。


◆ 焼けただれた皮膚の記憶と共に生きて

その方は、終戦後に広島から大阪へ転居された方でした。
1945年8月6日彼女は爆心地近くで皮膚がただれ、叫ぶ人たちの姿を目の当たりにし、
自分もいつか同じような姿になるのではないかという不安とともに、
鏡を見ることでそれを確かめる毎日を何十年も続けてこられたのです。

私たちが何気なく過ごす日常の中に、
「自分の顔が焼けただれていないかを確認し続ける日々」を送り続けてきた方がいる——。
それは、まさに想像を絶する人生でした。


◆ 訪問看護師として感じた、語られない記憶の重さ

戦後80年が経過しましたが、戦前戦後の貴重な体験をされた方々の出会いが看護師として、人として考えさせられる事も多くあります。

そしてこのような記録には残らない、言葉にならない記憶や感情
その方の“生き方”や“しぐさ”の中に今も刻まれているのだと、改めて気づかされました。


◆ 未来へつなぐ、小さな証言として

2025年の今、戦争体験や被爆体験を直接語ってくださる方は少なくなりました。
それでも、訪問看護という仕事を通じて、
静かに残された「生き証人」に出会うことがあるのです。

あのとき聞いた、
「大丈夫? 顔、ただれてない?」という言葉。
それはきっと、
戦争のない平和な時代を生きる私たちにとって、
忘れてはならない問いかけなのだと思います。


これからも訪問看護師として、
その方の背景や心の奥にある記憶に寄り添いながら、
静かに、小さくても確かに平和をつなぐ存在でありたいと思います。

投稿者:nakase